開催レポート

伊江村のうたの記憶を探す

概要

10月26日(土)、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「伊江村のうたの記憶を探す」の公開講座が開催されました。今回は、伊江村民俗芸能保存会会長の内間亀吉さん、岐阜女子大学特任教授で長く伊江島の芸能の研究をされてこられた大城學さんのお話をうかがいながら、伊江村に古くから伝わる《木宝蔵(木ぷぞ)》の歌の背景をひとつひとつ紐解いていきました。編集者でライターの川口美保さんにご執筆いただいた開催レポートを公開いたします。

レポート

文/川口美保
写真/當麻妙

photo:當麻妙photo:當麻妙

唯一無二、「木ぷぞ」という歌を知る

 10月26日、アーティスト・イン・レジデンス・プログラム「うたの記憶を紡ぎ出す」の第3回となる「伊江島のうたの記憶を探す」が、伊江村の伊江小学校で開催された。伊江島は沖縄本島の北部にある一島一村の離島で、沖縄本島の本部港からフェリーに乗って30分ほどだが、近づいていくと沖縄本島の海の美しさに増して澄んだ青い海とタッチューとも呼ばれる気高い城山が迎えてくれた。この島には重要無形民俗文化財に指定されている「伊江島の村踊」をはじめ、数多くの豊かな芸能文化が息づいているという。

 この日の公開講座の聴講は誰でも参加できるものだったが、今回、伊江島で暮らし、伊江島の伝統芸能の継承を担う人たちが集まり、この日のために用意された3つのプログラムにじっくりと耳を傾け、様々に意見交換していたのが印象的だった。この光景はこれまでの講座にはなかったもので、芸能を担うのは自分たち自身だという意識が伊江島の人たちの中に根づいている証だと思った。

大城學(左、岐阜女子大学特任教授) 内間亀吉(右、伊江村民俗芸能保存会会長) photo:當麻妙大城學(左、岐阜女子大学特任教授) 内間亀吉(右、伊江村民俗芸能保存会会長) photo:當麻妙

 まず3つのプログラムの第1部は、伊江島の民族芸能保存会会長である内間亀吉さんと、伊江島の民族芸能の研究し続けている岐阜女子大学特任教授の大城學さんに、伊江島の東江上地区に伝わる民謡「木ぷぞ」(木宝蔵)についてお話を伺った。お話の前に大城さんが聴かせてくれたのは、1960年代前半に録音されたという「木ぷぞ」の音源だった。この「木ぷぞ」、いわゆる沖縄民謡のように伴奏に三線が使われていない。「テンテン、トゥルドゥンテン」という口三線によってはじまり、また、「木ぷぞ」という曲名にある、ガジュマルやセンダンの木でつくった煙草入れをリズム楽器のように叩きながら、口三線と「木ぷぞ」を叩くリズムが重なって独特のグルーヴを生み出していくのだ。それらを伴奏に、二番、三番と、即興でつくられていった歌詞が歌われていくというもの。聴き終えて、歌手の松田美緒さんは「かっこいいですね」と言葉を漏らし、唄の感想をこう話した。

「口三線だからこそのダイミックさが生み出されていて、当時のエネルギーがものすごく伝わってきました。どんどんそれぞれの声が高まっていって、一体感を増していく。歌というのは人間の根源的な表現であるということをあらためて感じました」

「三線の伴奏だとこういう節回しにはならないですね。口三線の伴奏で歌う民謡は極めて珍しいんです」と大城さんが付け加える。

 かつて、この煙草入れである「木ぷぞ」を人々は野良仕事に持ち歩き、「木ぷぞ」を煙管で叩いて唄ったりしたという。また、野遊び(もーあしび)の時には掛け合いで歌われていったそうだ。

 さらに内間さんが、「畑で歌う場合は、必ずしも木ぷぞを持っていくわけではないから、鍬の柄を叩いて、それで音頭を取ったという話も聞いています。また、野遊びは戦後はもうなくなってしまったので私たちは体験していないのですが、十字路の近辺にちょっとした空き地があったりすると、そこに若い男女が集まって歌ったり、その中で、男女の語らいがあったりしたようですね」と加える。実際、この時聴かせていただいた音源は、明治生まれの方々4名によって歌われた唄で、「この方々は野遊び体験者ですね」とのこと。唄の歌詞には、男女のやりとりが情熱的に歌われており、その体験者であるからこその当時の男女の感情表現が唄からもひしひしと伝わってきたのだろう。

 なぜ口三線かということについても、戦前には伊江島には三線が入っていなかっただろうという話や、即興で唄をつくっていくゆえ、もっと面白い歌詞もあるが書き残されていないものも多くあること、また、即興ですぐにつくれたのは、琉歌の8 8 8 6のリズムが島の人たちに染み付いていたことなど、まさに歌が日常の中に入り込み、根づいていた当時の様子を伺うことができた。

photo:當麻妙photo:當麻妙

他の地域にはない伊江島の芸能

 続く第2部では、大城さんから「伊江島の民俗芸能」全般についてのお話がなされた。特に舞踊である伊江島の「二才踊」は一曲構成で、沖縄の他の地域では見ることのできない所作が多いという特徴があること、また、他の沖縄民謡のように曲目に「〜〜節」とつかない曲名も多いことなどが語られた。また、「木ぷぞ」と並び、伊江島の代表的な民謡のひとつ「砂持節(すぃなむちぶし)」も聴かせていただいた。

「この歌は、地割制度の導入により、石ころの多い土地に当たった人が、土地改良のため、砂採りに押しかけるようになったため砂採りが禁じられ、その苦悩を歌ったという伝承譚と、砂採りの運搬の際の作業歌であったという伝承譚があります」と大城さんは歌を紹介。さらに1961年に録音された「子守唄」も聴かせていただき、三曲を聴いただけでも、伊江島に伝わってきた唄の豊かさに心惹かるものがあった。

 また、伊江島は、大和との芸能の関係が深く、大和から影響を受けたものも多いと大城さん。

「かつて琉球の士族たちが江戸に出向く際、能や狂言を鑑賞しているんです。それで伊江島に帰って来て、大和で身につけた舞いを報告するということがあったそうです」

 その上、伊江島では祭祀やその中で演じられた神舞もあると言い、「まさしく伊江島は芸能の宝庫だなということが言えると思いますね」。

 ゆえに、これら豊かな芸能をどう継承していくか、そのことがいかに重要かを実感せずにはいられなかった。

photo:當麻妙photo:當麻妙

フィールドワーカーとしての立場

 第3部では、国立民族学博物館、総合研究大学院大学准教授の川瀬慈さんと、歌手の松田美緒さんとのトークセッションと続いた。川瀬さんは人類学という分野でアフリカの音楽研究を続け、また、松田さんは歌手として世界各国を訪れ、その地域で生まれ育まれていった唄や音楽に触れ、体現していくアーティストだ。まず川瀬さんが、最初に聴いた「木ぷぞ」の音源について、あらためて「『木ぷぞ』という実在した煙草入れの箱に由来した歌が脈々と歌い継がれていること、その唄の中に、もどかしい男女の情念や深い感情を感じて、土地の中で育まれてそこから派生する歌というのはすごいなと感動しました」と感想を述べると、松田さんもあらためて、「野遊びという、そこでしか許されなかった表現を体験した人ではないと出し得ない感情があの録音の中にあって、歌の原点を感じました」と話す。

 その上で、2人がこれまで様々な地域を訪れ、実際にその土地に入り込むことで見えて来た、地域と音楽との関係、そこで音楽を担う人たちの姿についての話が続いた。

 その中で印象的だったのは、川瀬さんが言ったこんな言葉だった。

「人類学という学問は、異文化を記録し学ぶことを通して私自身を捉え直して考えるという学問ですが、地域芸能を考えていく時に、もちろん地域社会で育まれていく脈々と受け継がれているものを研究者としてフィールドワーカーとして尊重すると同時に、論者として入っていって、なんらかの問題提起をしたり、当事者たちが自分たちの姿を客体化して捉えて考えていけるような機会をつくっていけるなきっかけになればと思っているんです」

川瀬慈(左、国立民族学博物館准教授) 松田美緒(右、音楽家) photo:當麻妙川瀬慈(左、国立民族学博物館准教授) 松田美緒(右、音楽家) photo:當麻妙

歌や芸能は、地域社会を写し出す鏡

 2人はこのプロジェクトのために伊江島にも一週間ほど滞在。その間、伊江島の芸能の伝承者たちと様々に出会い、歌が生まれた背景をフィールドワークしていった。その中で、時代とともに継承者が少なくなっていることや、その上でいかに継承し続けていくか、伊江島の方々の強い想いを知ることとなる。

 実際、民俗芸能保存会の内間さんからも、これまでは青年男子でなければ継承できなかったものを地域全体、島全体で取り組んでいっているという話も伺った。

 それを受けて川瀬さんは、「歌や芸能は、地域社会を写し出す鏡であり、単に歌や踊りが孤立して存在するのではなく、それを育む地域社会全体を考えていかないといけないんだなと思いました。村踊といった時に、村全体の営み、活力、それを支える知識とか、そういうところまで掘り下げて学び取っていく気持ちが必要じゃないでしょうか」と語る。

「内間会長がおっしゃったように、視点を広げていく柔軟性、多様なアイデアを取り入れていく勇気が必要だと思います。そういった多様なアイデアを取り入れる中に、芸能の活性化や芸能を司るエネルギーの高まりとか、魂の昂揚とかがあるような気がします」

 伊江島では小学5年生になると、各区の踊りを地域の師匠たちに教えてもらい、発表する機会を持っているという。これはこの島に暮らす子どもたちにとってひとつの儀式のようなもので、これを通して地域や文化に対する敬意を抱き、なぜ自分たちがここに生きているのかを学ぶきっかけとなっていくそうだ。そうすることで、子どもたちは自分の中に島の誇りを持ち、自己肯定力にもつながると言い、松田さんは、「子どもの頃から地域の芸能に関わっていきながら、それが自己肯定、自己表現にもつながれば、生き生きと地域芸能が続いていくのではないでしょうか」と話した。

 そして、プロジェクトリーダーである沖縄県立芸術大学の向井大策さんもこう続けた。

「継承をどう考えるかということで、制度をどうするかという課題があるのだと思います。制度というものを活かしながら、地域の人がどう取り組んでいくか、これは現実的なこととしてあるとして、もうひとつ重要なのは、制度や継承活動をいかに精神的に充実させていくかというのも大事なんだと思いました。この現代社会の中で、当時の精神性を保ちながら、いかにいまの時代に蘇らせることができるのか。それを考えていくことも必要なのだろうと思います」

「木ぷぞ」というひとつの歌を通して、伊江島の文化、歴史、それを継ぐ人たちの想いが感じとれ、伊江島に暮らす人たちと、また、外からの訪問者として中に入っていった松田さん、川瀬さんらの視点とが混じり会い、様々な議論が交わされた、充実した3時間だった。と同時に、到底3時間では語りきれない議論であったとも思った。

 伊江島の村踊は、そこに暮らす者でないと教えられないという。しかも地区ごとに違うから、別の地区の人が教わることも難しいという。しかし、昔と違い、その地区に暮らす者なら移住者であっても学び受け継ぐことができるそうで、熱心に民謡を学んでいる移住者もいて、この日の講座にも参加していた。

 沖縄で無形民俗文化財の指定を受けているのは、与那国島の祭事と芸能、竹島島の種取祭、多良間の豊年祭、そしてここ、伊江島の村踊。しかも、他の島が特定の踊りや祭りそのものが指定されているのとは違い、村踊全体が指定されている。紛れもなく、島全体で取り組むべきものなのだ。しかしこの、3時間の話からも、伊江島の方々の意識の高さも充分に感じることができたのも事実だった。未来、伊江島の芸能がより豊かになっていくだろう、そのことを見ていけたらと思った。

インフォメーション

アーティスト・イン・レジデンス 松田美緒(歌手)
アーティスト滞在期間 2019年10月25日(金)〜10月31日(木)

公開講座「伊江村のうたの記憶を探す」
日時 2019年10月26日(土)10:30〜14:30
会場 伊江村立伊江小学校
話し手 内間亀吉(伊江村民俗芸能保存会会長) 
講師 大城學(岐阜女子大学特任教授)、川瀬慈(国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授)
聞き手 松田美緒(歌手)