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地域芸能と歩む

マースケーイロードの旅 7/30

フィールドワーク・レポート

マースケーイロードの旅 7/30

概要

7月29日より、アーティスト・イン・レジデンスの松田美緒さんが沖縄入りし、読谷村のうたの記憶を探すフィールドワークを行なっています。ここで出会ったうたが「まーすけーい歌」。読谷村長浜地区に伝わる古い民謡です。
7月30日に、この「まーすけーい歌」に歌われる道のりをたどるフィールドワークを行いました。その様子をレポートします。

フィールドワーク・レポート

文/向井大策

昔、読谷村長浜の女性たちが塩を買いに(替えに)、東海岸の泡瀬島(現沖縄市泡瀬地区)までを歩く道程を歌った「まーすけーい歌」(塩替い歌)。いまこの歌を知る人はほとんどいない。この「まーすけーい歌」に歌われる道のりを辿る松田美緒さんのフィールドワークに同行した。

旅のスタートは、読谷村史編集室。編集室の中田さんのご協力のもと、古地図と現在の地図を照らし合わせ、歌詞に歌われる地名を場所を確認しながら、塩替いの道「マースケーイロード」を探す。

長く長く続く坂道。丘を越え、森を超え、川を越えて、読谷から泡瀬までの10キロ近くの道のりに平坦な場所はほとんどない。

沖縄市高原には、「読谷山ビラー(坂)」と呼ばれていた坂の名残があり、読谷と泡瀬のふたつの地域のかつての交流を偲ばせる。

歌にのせて、塩が運ばれる。そして、塩が歌を運んでいく。

坂を案内してくださった普久原さんによると、泡瀬には読谷から芋が運ばれていたとのこと。養蚕をしていた普久原さんのおばあさんは紡いだ糸を読谷まで運んで染めてもらっていたそうだ。

そして、終着点の泡瀬。普久原さんによれば、泡瀬には、戦後しばらくまで蘆の生い茂る湿地帯が広がっていたとのこと。湿地帯に護られた塩田は海水も澄み、良質な塩が生産されていた。

塩田の跡地は、現在はすっかり区画整理された住宅地に。昔の地図を見ると、米軍統治期までは塩田があったことが分かる。そして、そこに隣接するのは米軍の泡瀬通信基地。埋め立てと開発が進む泡瀬地区の中で、鉄条網の向こう側にだけ、ここがかつて美しく豊かな湿地帯だったことの名残を認めることができる。

一方、干潟の沖合では、護岸を作り土砂を入れて、人工島に人工のビーチを作る計画が進んでいる。マースケーイロードの旅は、過去と現在とが重層的に折り重なる沖縄の地域社会の「いま」について考える旅にもなった。