エッセイ⑥

<私たち>自身の物語りへと環る旅の途上から

概要

「地域芸能と歩む」ことの意味はどこにあるだろう――私たちは幾度となくこのことを問いながら、プロジェクトを進めていきました。

琉球大学准教授の高橋そよさんは生態人類学・環境民俗学が専門で、サンゴ礁を生業の場とする人々の在来知や身体技法、自然観の研究を行いながら、研究と地域社会をつなぐ様々なプロジェクトの企画運営にもたずさわってこられました。「持続可能な未来のために、私たちはどのように文化の多様性と新しい知識を創造することができるか」――高橋さんの視点から、新しい人文学の可能性についてご執筆いただきました。

<私たち>自身の物語りへと環る旅の途上から

文/高橋そよ

紋付の黒地衣装の少年の瞳の力強さが気になり、ふらりと立ち寄ったカフェの本棚でフライヤーを手にしたのは、2019年の初夏だった。愛らしい鯉のぼりのポスターが飾られた小学校と思しき靴箱の前に立つその少年の佇まいは、そこはかとなく「今、ここに生きている」という<存在>を肯定しているかのようだった。―しかし、それは何の存在を?

プログラムディレクターの向井大策さんは、約250年前から読谷村長浜で歌い継がれてきた 塩を求める道行き歌“まーすけーい歌”をめぐるトークセッションで、「うたを通して、そこに生きた人々の生き様や風景が鮮やかに立ち上がってくる」と述べる。そして、うたの背景を紐解き、その出来事や記憶を分かち合うことは、地域の中で育まれてきた芸能を継承するための一つの形ではないだろうか、と問いかける。

このプロジェクトの魅力は、地域の方や研究者、アーティストなど専門性の異なる経験を交差させ、思いがけない発見に共に驚き、対話しながら新たなコミュニティを生みだそうとする方法論にある。このプロジェクトをきっかけに、素晴らしい出来事がいくつも生まれている。そのうちのひとつが、うたの伝承者である長浜眞勇氏と、約40年前の沖縄県民謡緊急調査時に録音された父・故真一氏が奏でる“まーすけーい歌”の音源との出会いだ。この出会いによって、眞勇氏はプロジェクトメンバーとともに、うたの旋律や意味、その背景をたどり始める。たとえば、夏の炎天下の中、実際にこのうたの風景を歩いた文化人類学者の呉屋淳子さんは、うたに登場する沖縄市高原の「読谷山坂」から東海岸の泡瀬とその向こうに広がる海を見たとき、無事に目的地に着いた安堵で嬉しい気持ちになったと表現した。きっと、その視線の先には長い道のりを、薪を背負いながら歩いてきた長浜の少女たちの姿が見えたに違いない。この泡瀬へと坂を弾むような気持ちで下る情景を描く旋律として、眞勇氏は「上り口説」から喜びを表現する「かぎやで風節」に置き換えることで、7・5調から8・6調の琉歌に変化する歌詞と重なることを発見した。約40年前、父・故真一氏も再現が不明確であったうたの謎を解いたことは、芸能研究の担い手を従来の研究者から、より地域社会へ「ひらいた」瞬間でもあった。

このプロジェクトは、うたとはその土地の歴史や風景、そして人々の生きてきた時間や生活文化そのものの<存在>の表象であることを明らかにしてきた。あの紋付の黒地衣装の少年はその表象を生きる<私>でもあり、その土地に生きてきたかつての、そして未来を生きる<私>でもある。過去現在未来へと連綿と続く人と土地と時間のつながりは、いうまでもなく地域コミュニティを維持させる生存基盤となる。地域の方とともにうたをめぐる旅は、うたの背景にある<私>の物語りから<私たち>自身の物語りへと環る旅でもあるのだ。それは持続可能な未来のために、私たちはどのように文化の多様性と新しい知識を創造することができるかを問う、新たな人文学への挑戦そのものだといえるだろう。

著者プロフィール

高橋そよ(たかはし・そよ)

琉球大学人文社会学部琉球アジア文化学科、准教授。博士(人間・環境学)。専門は生態人類学・環境民俗学。琉球弧の自然と人とのかかわりをテーマに、主にサンゴ礁を生業の場とする人々の在来知や身体技法、自然観の研究に従事。近年は伊良部島や与論島にて地元の方とともに、漁具の復原と漁撈文化の継承に取り組む。素潜り漁師に弟子入り21年目。著書『沖縄・素潜り漁師の社会誌―サンゴ礁資源利用と島嶼コミュニティの生存基盤』(コモンズ)など。