エッセイ③

足の裏に力をいれた日 豊年祭2020

概要

「地域芸能と歩む」では、2020年8月から9月にかけて、新型コロナウイルス感染予防対策を充分に行ったうえで、写真家の志鎌康平さんと沖縄各地の地域の芸能の担い手の方々の「いま」を写真に収める小さな旅を行いました。

例年、多くの人で賑わう石垣市の四ヵ字豊年祭は、2020年は奉納芸能の上演を中止し、神事を中心に規模を縮小して行われました。地元の人たちは、どのような思いでこの夏を過ごされたのか。県立高校図書館司書を務められ、地域の祭事や芸能に詳しい山根頼子さんに、この夏の豊年祭、そしてこれからの豊年祭について、エッセイをご執筆いただきました。

足の裏に力をいれた日 豊年祭2020

文/山根頼子

「豊年祭」と「アンガマ行事」を中心に自分の一年は回っている、と語るのは新川公民館仲間の先輩。豊年祭の前に、ありったけの有給休暇をつぎこみ、豊年祭に関わる仕事を毎年引き受けてきた方だ。旗頭を作成したり、時には準備委員という役職につき、衣装や道具の準備、祭りの運営一切を担う。このように行事への熱量が高い人のおかげで、今日まで豊年祭は支えられてつづいてきた。

盛夏の青空を背景にして立ち並ぶ旗頭は、八重山の夏の風物詩である。豊年祭は幼児から古老まで、老若男女それぞれに役割があり、コミュニティの一員であることを実感する日だ。しかし2020年はコロナの影響で人出の多い豊年祭は中止。祭事のみ執り行われた。

銅鑼も太鼓も鉦鼓の音もない、静かな夏を過ごしているところへ、沖縄県立芸大の呉屋淳子さんから写真撮影の話が舞い込んだ。呉屋さんとは、「学校芸能」で接点がある知人だ。高校の郷土芸能部への橋渡しの役回りだけかと思いきや、字新川の豊年祭の写真も撮影したいとのこと。趣旨も十分に理解できないまま、「持続可能」の言葉が耳に残り、引き受けることにした。同時にいつも豊年祭の行く末を案じている、同年代の知人の顔も浮かんだ。

豊年祭で女性の部をリードしているのは、80代の先輩たちだ。その姿を見ながら、60代前後の私たちは、今後の継承に不安を感じている。リーダーはその年の顔ぶれによって暗黙のうちに決定したり、それによって芸能の所作が異なったりすることがあるからだ。よりどころになる記録もなく、それぞれの記憶で進む。

かつて人のつながりが濃密だった時代のようにはいかなくなっている。同じ地域に住んでいても、職業も様々、日常の接点は少ない。車社会なので立ち話をしたりする機会もぐっと減り、祭り以外では公民館主催の敬老会や、運動会などで顔を合わせる程度だ。新川の奉納芸能も「持続可能」な道に舵をきる時が訪れているのかもしれない。

撮影の日、奉納の踊りで着用する着物を準備した。赤黄白3色の紙がゆれるザイを持ち「ふなー星」の古謡にあわせて、御嶽の境内を一回りする踊りだ。呉屋さんから「今日の写真撮影を、中止になった豊年祭のかわりにしてください。」と言われ、撮影に向かう心構えがやっと明確になった。

直前、ひとりが予定していた着物ではなく、丈の短いムイチャーを着たいという。自分の気持ちにぴったりくるものが一番いいと皆も賛同し、彼女は襟に「新川字会」と書かれたムイチャーを着、腰にわらの力綱をしめた。皆それぞれの内なる豊年祭があるのだ。

撮影はまず、御嶽の大きな老木の前に立ちカメラに向かった。緊張からむずむずしていたら、志鎌カメラマンが言った。「足の裏に力を入れて立って下さい。視線はカメラレンズのずーっと奥を見て」と。足の裏。親指、かかと、土踏まず。そういわれて足の裏全体がなるべく地面と密着するような意識を持って立つ。すると不思議なことに重心が定まり、腰がはいった。同時に自分がこの地、この新川に立って今日まで過ごしてきたことをあらためて思った。そして視線はカメラの向こうの遠い記憶を見るようにした。

例年、豊年祭の日は、御嶽での奉納の踊りが済むと、一度自宅に戻りムイチャーに着替える。そして日没まで「ガーリ」(声をあげながら乱舞する)をするためにまた御嶽へ戻る。その往き来の小道が、もうひとつの撮影場所になった。ポスターの「今を生きる人々と育む地域芸能の未来」のことばと共に、2020年の私たちのWithコロナ豊年祭。思い出深い記念写真となった。

地域の芸能は、その地域の財産であり誇りである。だから、真似されないよう地域外の人に教えたり、記録を取ったりすることに警戒心がある。しかしそうしているうちに消失した古謡や踊りも少なくないと聞く。祭事の方法や、大道具・小道具の作り方、衣装の着付け、材料の自生の場所など、知る人ぞ知るものとなっていて、継承には課題が山積している。

例年、豊年祭の練習から本番までの間にちいさな摩擦の場面がみられるのも、踊りの所作や、歌詞などが、個々人の記憶の違いなどから生じていることが多い。ならば、もっとマニュアルや、写真、映像、音響に頼ってもいいのではないか。そう思うこともある。

しかし一方では、この言い合いなども含めてこそ、豊年祭なのではないかと思ったりもする。言い合うほどこだわりや思いがあるということ。今年と去年ではやっていることにゆらぎがあること。それも祭りには必要な要素なのではないかと思うからだ。かりに、きちっと型をきめてしまえば、決めた時点でかなりたいせつなものを捨ててしまうことになるのではないかという不安もある。

重要無形民俗文化財に指定されることは、一長一短である。生きている芸能は変化し続ける。細かく固めてしまうことを避けつつ、持続のためにゆらぎも含め、記録を生かすことが大切だと思っている。

 

著者プロフィール

山根頼子(やまねよりこ)
1956年石垣市新川生まれ 県立高校図書館司書 四ヶ字豊年祭が行われる真乙婆御嶽の近くで祭りを見て育ち、大人になってから参加。青年期は旧盆のアンガマ行事へ参加。新川ユンタ保存会で古謡を習う。高校の郷土芸能部顧問として学校芸能を経験。現在は八重山民俗舞踊研究所の門下生として舞踊を習っている。踊りの所作を通して先人の思いや営みを追体験し、タイムカプセルのような歌詞中の歴史のトピックに触れている。